世界大百科事典(旧版)内のファランジストの言及
【アラブ】より
…1938年12月,ベルギーのブリュッセルで開かれたアラブ学生会議が,〈言語・文化ならびに忠誠心(または民族感情)においてアラブであるものすべて〉をアラブと定義したのは,このような方向に沿ったものである。しかしイスラエル国家の建設,第3次中東戦争,その後顕著となったアラブ諸国の利害の対立とともに,レバノンのファランジスト(カターイブ)のように公然とイスラエルと組んで,イスラム教徒に敵対するキリスト教徒も出てきた。このような状況のもとで,現在あえてアラブを定義すれば,〈アラビア語を母国語とし,ムハンマドの宣教に始まるアラブの歴史と文明の所産の中にはぐくまれ,それへの帰属意識を持ち続ける者〉ということになろうか。…
【マロン派】より
…この優越的地位に対して,ムスリムの不満と批判が高まるとともに,マロン派住民の間では,アラブ民族主義やシリア民族主義に対する反発とレバノン民族主義(しばしばフェニキア主義として示される)への傾向とが強まった。1958年および75年以降の内戦をピークとするレバノンの政治対立の中で,マロン派はカターイブ(ファランジスト),自由国民党,自由レバノン等の運動の主要な社会的基盤を提供した。【板垣 雄三】。…
※「ファランジスト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」