フリードリヒ[5世](読み)ふりーどりひ

世界大百科事典(旧版)内のフリードリヒ[5世]の言及

【三十年戦争】より

…これが戦争の発端である。
[ボヘミア・ファルツ戦争(1618‐23)]
 ボヘミアの反乱軍にはオーストリアの新教徒も味方して蜂起し,トランシルバニア(ジーベンビュルゲン)侯も皇帝に反旗をひるがえして,反乱はボヘミア外にも拡大したが,その渦中の1619年に皇帝マティアスが死亡して,フェルディナント2世が皇帝位につくと,ボヘミア議会はフェルディナントのボヘミア王位を取り消して,新教連合の指導者ファルツ選帝侯フリードリヒ5世を国王に選んだ。このため戦争のドイツ全域への波及は不可避の形勢となったが,フリードリヒ5世がカルバン派であったことが災いして,多くの新教派諸侯の援助をうることができず,当時スペイン接近をはかっていた義父のイギリス王ジェームズ1世も動かなかった。…

【チェコ】より

…プロテスタントの抑圧者として知られるフェルディナント世(在位1619‐37)がハプスブルク家によってボヘミア王に指名されると,チェコのプロテスタント貴族は彼の即位を拒否し,1618年5月,派遣されてきた国王参事官をプラハ城の窓から外に投げ出す事件を起こした(三十年戦争の発端)。反抗する貴族たちはカルバン派のファルツ選帝侯フリードリヒ5世Friedrich Vをボヘミア国王に選んだ。これに対し,フェルディナントはスペインの支援を受けてチェコを攻撃し,1620年プラハ近郊のビーラー・ホラの戦でチェコ貴族の率いる傭兵軍を粉砕した。…

【ビーラー・ホラの戦】より

…この事件を契機として貴族たちの行動が激しくなり,国内からイエズス会士やカトリック高位聖職者が多数追放されるにいたった。19年8月,ボヘミア身分制議会は,フェルディナントを廃し,イギリス王ジェームズ1世の娘婿で,カルバン派のファルツ選帝侯フリードリヒ5世(ボヘミア国王,在位1619‐20)を新王に選んだ。これを反逆と見なしたフェルディナントは教皇,スペインなどの支援を受けて,傭兵軍を組織し,ボヘミアに攻め入った。…

【ファルツ】より

…この宮中伯領は12世紀以降ライン川右岸地域にも広がり,その中心都市はハイデルベルクであった。13世紀はじめ皇帝フリードリヒ1世はこれをウィッテルスバハ家に授封,1356年の金印勅書で宮中伯は選帝侯に任ぜられた。1386年創立のハイデルベルク大学はこのファルツ選帝侯のつくった大学である。…

※「フリードリヒ[5世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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