世界大百科事典(旧版)内のブルガーニン・ラインの言及
【日ソ漁業条約】より
…(2)第2次大戦後,両国の漁業取決めは空白状態であったが,講和条約締結後,日本は北洋サケ・マス漁業を開始した。これに対しソビエトは,1956年3月ブルガーニン・ライン(カムチャツカ半島周辺での一方的漁業規制区域)を設けたため,日ソ間の交渉がはじまり,5月モスクワで,農相河野一郎と漁業相イシコフAleksandr A.Ishkovの間で日ソ漁業条約が締結され,日ソ共同宣言発効とともに効力を生じた。この条約では,漁業資源の保存・発展のための協同措置をとる(2条)ために,年間総漁獲量の決定をし,その報告を提出すること(4条)などが決められ,そのために北西太平洋日ソ漁業委員会が設置されること(3条)になった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」