プラハの和約(読み)ぷらはのわやく

世界大百科事典(旧版)内のプラハの和約の言及

【三十年戦争】より

…ワレンシュタインはその後ひそかに新教派諸侯,スウェーデンと和平を交渉したが,それを知った皇帝によって暗殺された。スペインの援助を受けた皇帝は新教派諸侯,スウェーデンを圧倒し,35年新教派諸侯の多くは皇帝とプラハの和約を結んで講和した。
[フランス・スウェーデン戦争(1635‐48)]
 フランスは三十年戦争の開始以来,つねに反ハプスブルクの黒幕的存在として新教派に援助を与えていただけでなく,オランダやベネチアと結んで,スペイン領ネーデルラント,北イタリア進出を策していたが,ドイツでの新教派の劣勢に直面して,1635年に宣戦し公然と戦争の表舞台に乗り出すことになった。…

【普墺戦争】より

…プロイセン軍はオーストリア軍をボヘミアのケーニヒグレーツKöniggrätzの戦で破って大勢を決し,大方の予想を裏切り,戦いはわずか7週間で決着がつけられた。プラハの和約(1866年8月23日)によってオーストリアはドイツから排除され,さらに北ドイツ連邦の成立(1867)によってプロイセン中心のドイツ統一事業は大きく前進した。 この戦争はプロイセン陸軍史においても画期的意義をもった。…

※「プラハの和約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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