世界大百科事典(旧版)内のボレスワフ[1世]の言及
【ハインリヒ[2世]】より
…オットー3世が子供を残さず早世した後,傍系から入って王位を継いだ。前任者オットー3世のイタリア重視政策に対し,ドイツ国内の体制固めに努め,とくにポーランド王ボレスワフ1世と争って,その進出を押さえ,ザクセン朝伝統の帝国教会政策を踏襲,バンベルク司教区を新設したほか,ゴルツェ修道院の主導する教会改革を支持した。【平城 照介】。…
※「ボレスワフ[1世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」