ポーター,E.S.(読み)ぽーたー

世界大百科事典(旧版)内のポーター,E.S.の言及

【アメリカ映画】より


[アメリカ映画とは何か]
 アメリカ映画の産業としての始まりは,〈ストーリー・ピクチュア〉,すなわち,ストーリーを物語る映画の出現からとされる。それは,E.S.ポーター監督の《アメリカ消防夫の生活》(1902),《大列車強盗》(1903)に始まるが,グリフィスは,《ドリーの冒険》(1908)以降の諸作品でその手法を発展させ,完成させた。例えば,クローズアップは《大列車強盗》で初めて使われたが,それは犯人が観客席の間近から射撃しているように見せるための,いわば純粋にセンセーションを引き起こすトリックとして使われたにすぎない。…

【クローズアップ】より

…しかしクローズアップそのものは,世界最初の映画撮影所といわれるエジソンの〈ブラック・マリア〉の設計者で,35ミリフィルムの発明者でもあるW.K.L.ディクソンの《フレッド・オットのくしゃみ》(1899),写真家出身のG.A.スミスの《祖母の読書用拡大鏡》(1900),スコットランドの化学者でイギリス映画の先駆者J.ウィリアムソンの《大食漢》(1901)などの中でも,すでに,すなわちグリフィス以前に使われていたことが明らかにされている。エドウィン・S.ポーターの《アメリカ消防夫の生活》や《大列車強盗》(ともに1903)の中にもクローズアップが使われている。映画評論家H.A.ポタムキンは,《シアター・ギルド》誌(1930)で,メリー・ピックフォード主演《網を繕う人》(1912)でグリフィスが初めてクローズアップを〈芸術的に〉使ったと指摘しているが,1908年から16年間グリフィスに協力したカメラマン,ビリー・ビッツァー(1872‐1944)の自伝的回顧録《ビリー・ビッツァー,ヒズ・ストーリー》(1973)によると,グリフィスの《イノック・アーデン》(1911)で,ロングとフルサイズを主体にした当時の映画の描写の中に,決定的な1点を瞬間的にとらえて挿入することによって他のすべてを省略する劇的なクローズアップを使ったことになっている。…

【スター】より

…こうして,名まえが大衆に知られた最初の〈スター〉が誕生したのであった。
[スター・システム]
 1900年代の初めにフランス映画界の支配者となったシャルル・パテは,映画では俳優の頭から足まで全身がスクリーンに写るように撮影しなければならないと配下の監督たちに指示したと伝えられているが,アメリカのエドウィン・S.ポーター(1869‐1941)やD.W.グリフィスの実験的なクローズアップの使用は,演劇の伝統に固執するパテの考えをくつがえし,俳優の魅力を強調してその人気をさらに高めた。 09年,バイタグラフ社の映画のスチール写真をいれてプロットやあらすじをよびものにした最初のファン雑誌《モーション・ピクチャー・ストーリーズ》が発刊されて,初めてメリー・ピックフォードの名まえが明かされた。…

【大列車強盗】より

…1903年製作のアメリカ映画。発明家のトマス・エジソンが主宰するエジソン・カンパニーの作品で,監督はエドウィン・S.ポーター。〈犯罪〉〈暴力〉〈正邪の対決〉といったすぐれてアメリカ映画的な要素をはらんだストーリーを,初めて映画的な話法で表現することに成功して〈アメリカ映画の最初の古典〉とみなされている。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」