マッカーシー,J.R.(読み)まっかーしー

世界大百科事典(旧版)内のマッカーシー,J.R.の言及

【アチソン】より

…その後国務次官(1945‐47),国務長官として,トルーマン・ドクトリンやマーシャル・プランの立案に関与し,また北大西洋条約機構(NATO)設立に携わるなど,〈封じ込め政策〉の推進者として活躍した。しかし中国革命の成功によってトルーマン政権の責任が問われた際,J.R.マッカーシーらの対国務省攻撃の矢面に立たされた。この批判を鎮める目的もあって,朝鮮戦争においてはアメリカ軍を派遣して38度線以北に侵入させ(マッカーサーの中国本土攻撃論には反対した),またこの戦争の過程で対日講和推進とNATO強化に努め,〈封じ込め政策〉を世界的規模に拡大していくうえでも重要な役割を果たした。…

【チャップリン】より

…52年9月,63歳の芸術家チャップリンの〈精神的・哲学的自画像〉といわれた《ライムライト》(1952)の上映のために故国イギリスへ渡った翌日,トルーマン政権の法務長官は,チャップリンの再入国を保証しないと宣言した。スイスに永住の居を定めたチャップリンは,マッカーシーの〈赤狩り〉旋風が吹き荒れるアメリカの〈狂気の時代〉を告発する《ニューヨークの王様》(1957)をロンドンで製作し,さらに10年後,77歳でみずから〈ロマンティック・コメディ〉と定義した最後の作品《伯爵夫人》(1967)を発表したが,〈偉大な天才の凡作〉という評価が多かった。 1948年,フランスの映画批評家協会はノーベル賞委員会に対してチャップリンへの授賞を申し入れ,54年には世界平和評議会が平和国際賞を贈り,71年にはフランス政府がレジヨン・ドヌール勲章を贈った。…

【マッカーシイズム】より

…アメリカにおいて1950年代初頭,共和党上院議員マッカーシーJoseph R.McCarthy(1909‐57)が,反共を名目として行った政敵攻撃とその手法を指す。50年2月,2年後の上院選挙における再選という個人的野心を抱くマッカーシーは,20年に及ぶ民主党政権の下で国務省内に多数からなる共産主義スパイ網が形成され,現在もそのメンバーが外交政策に携わっている,という爆弾発言を行った。…

※「マッカーシー,J.R.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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