世界大百科事典(旧版)内のマフディー反乱の言及
【スーダン】より
… エジプト圧制下の住民の危機的状況のなかで,スーフィーのムハンマド・アフマドは,イスラムの危機がシャリーアの施行に責任を負うはずのオスマン帝国やエジプトの権力によって導入されていると受け止め,エジプト占領体制を打破してシャリーアを施行し,イスラムの革新を図ろうと考えた。81年,ムハンマド・アフマドのマフディー宣言とともに開始されたマフディー反乱を通じて,終末論的なジハードを目ざす教団国家を形成,85年エジプト占領を完全に駆逐した。反乱には身分・出身のいかんにかかわらず広範な住民が参加,13年間にわたりスーダン人民族意識に支えられたマフディー国家が続いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」