世界大百科事典(旧版)内のムハンマド・イドリース・アッサヌーシーの言及
【サヌーシー派】より
…成立当初は法学上マーリク派に属したが,1843年これと決裂,アフマド・ブン・イドリースの創設したイドリース教団の立場を継受しつつイジュティハードの権利を主張し,他方,伝統的諸教団のジクルを集大成して自ら神秘主義の精髄を代表するとした。ジハード(聖戦)運動を通じてリビア人の民族的自覚を促し,第1次世界大戦期以降の教団指導者ムハンマド・イドリース・アッサヌーシーは,1951年リビア王国独立に伴い国王となったが,王政は69年革命で打倒され,以後,教団の影響力は失われた。【板垣 雄三】。…
【リビア】より
…第2次大戦中の42年,リビアはイタリア軍を打破したイギリスにトリポリタニアとキレナイカを,フランスにフェッザーンを軍事占領されることになる。戦後,リビアは51年12月にサヌーシー派のムハンマド・イドリース・アッサヌーシーを国王(イドリース王)とする連邦国家として独立を宣言し,52年,国連決議に基づき国際的にも独立を達成した。 新たなリビアの担い手として国王の地位にサヌーシー派の指導者イドリースが就いたのは,欧米諸国の支援によってである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」