世界大百科事典(旧版)内のラオ・イッサラの言及
【インドシナ戦争】より
…同年8月日本軍が降伏するや,ベトナムでは反日抵抗組織ベトナム独立同盟会(ベトミン)が,インドシナ共産党の主導の下に各地でバオダイ政権からの奪権闘争を行い,9月2日ベトナム民主共和国を樹立した。一方,ラオスでは反仏組織ラオ・イッサラ(自由ラオス),カンボジアではソン・ゴク・タンSon Ngoc Tanh首相らが中心となって,3月の独立が再確認された。しかし9月に復帰したフランスは3国の独立を認めず,まずサイゴンの行政権を奪取し,翌46年南部ベトナムを切り離してコーチシナ共和国を成立させた。…
【ラオス】より
… 1945年4月に日本軍の後押しでルアンプラバン王シー・サワン・ウォンSi Savang Vongがラオスの独立を発表したが,日本の敗戦後すぐにフランスは降下部隊を使ってこの反仏の芽をつんだ。これに対して,日本の敗戦直後に結成されたラオ・イッサラ(〈自由ラオス〉の意)は,45年10月ビエンチャンにラオス臨時政府を樹立した。この政府はフランス軍に押されて46年4月にタイへ移り,亡命政府となったが,閣僚の中にはのちに活躍するプーマやスパヌウォンがいた。…
※「ラオ・イッサラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」