世界大百科事典(旧版)内のラーマの言及
【タイ】より
… 現在のタイの核心域をなすメナム川流域は,11世紀以来アンコール朝の支配下にあったが,13世紀の前半にいたり,二つのタイ族〈ムアン〉連合軍が,クメール族太守支配下のスコータイを攻略し,ここにタイ族最初の国家スコータイ朝を建設した。スコータイの版図は,第3代の王ラーマカムヘン(在位1275ころ‐99ころか1317ころ)のとき最大規模に達した。同王の碑文によると,その勢力は,北はルアンプラバン,東はビエンチャン,西はペグー,南はナコーンシータマラートにまで及んだが,王の死後,急速に衰微した。…
【ラタナコーシン朝】より
…タイの現王朝。トンブリー朝のタークシン王が精神錯乱に陥った後を受けて,軍の最高司令官チャクリ(のちのラーマ1世)が1782年バンコクを首都として創始した。始祖の名にちなんでチャクリ朝またはバンコク朝とも呼ばれる。…
※「ラーマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」