レスター,R.(読み)れすたー

世界大百科事典(旧版)内のレスター,R.の言及

【イギリス映画】より

…《マダムと泥棒》では実際アレック・ギネスの子分の一人を演じていたが,1960年代に入ると彼自身もハリウッドに招かれ,B.エドワーズ監督の《ピンクの豹》(1963)とその後の〈ピンク・パンサー〉シリーズの変装マニアのクルーゾー警部や,S.キューブリック監督《博士の異常な愛情》(1964)の一人三役という強烈な〈くさみ〉のある演技で世界的なコメディアンとなった。 セラーズが1950年代に主演していたテレビの人気ドタバタ喜劇番組《馬鹿者群像》のディレクターの一人だったのがR.レスターで,セラーズと共同で製作・監督した実験的短編ギャグ映画《とんだりはねたりとまったり》(1960)がアカデミー賞にノミネートされ,劇場用長編映画に進出した。さらに,レスターはビートルズブームのさなかに,ビートルズの日常ドキュメンタリーをよそおった形式の中にスラプスティック的なギャグを盛り込んだ《ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!》(1964)と《HELP!4人はアイドル》(1965)を撮り,前衛的ナンセンス・コメディ《ナック》(1965)でカンヌ映画祭グラン・プリを受賞して〈イギリス喜劇〉の代表的才能と目された。…

【キートン】より

…23年の《滑稽恋愛三代記(キートンの恋愛三代記)》から29年の《キートンの結婚狂》に至る12本の〈フィーチャー(長編)〉を生み出した1920年代がキートンの黄金時代で,トーキー以後は1本のヒット作もなく,各国を転々とし,戦後はビリー・ワイルダー監督《サンセット大通り》(1950)やチャップリン監督・主演《ライムライト》(1952)で落ちぶれた映画俳優や芸人の役で特別出演したり,各地の劇場でボードビルを演じたりした。66年に70歳で死去する直前,カナダのアニメーション作家ジェラルド・ポタートンが,キートン・ギャグを集大成してみせた短編《キートンの線路工夫》(1965),サミュエル・ベケットがキートンのために脚本を書いたアラン・シュナイダー監督の短編《フィルム》(1965),およびリチャード・レスター監督がキートンへのオマージュとしてつくった《ローマで起った奇妙な出来事》(1966)で,突如,鮮やかな〈キートン復活〉を見せた。 キートン喜劇は,〈サイト(視覚的)ギャグ〉と〈追っかけ〉を二大要素とするスラプスティックスの頂点にありながら,いわゆるどたばたに堕さず,その喜怒哀楽をいっさい顔に出さない美しい端正な〈無表情〉(英語では〈デッドパン・マスクdeadpan mask〉とか〈ストーン・フェイスstone face〉などと呼ばれる)と,ただひたすら走るという単純なアクションによって抱腹絶倒の笑いを生み出すところに偉大な特質があった。…

※「レスター,R.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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