世界大百科事典(旧版)内の丁田制の言及
【新羅】より
…中央官制は651年に官僚化が始まり,675,685年両度の整備によってほぼ完了するが,797年以降しだいに縮小された。新羅の官僚制度を支えた丁田制(壮丁に一定面積の田地を支給する)は722年から始まるが,757年には早くも貴族体制を支えた禄邑(ろくゆう)制(禄邑を支給する)に逆もどりした。地方制度では685年に金城(慶州)を中心に,金官京,南原京,西原京,中原京,北原京の五京をおき,全国を九州にわける五京・九州制が完成し,そのもとに119の郡と290余の県が配備され,これらの郡県のもとにはいくつかの村があり,村は10ないし15の自然村落からなっていた。…
※「丁田制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」