丁若銓(読み)ていじゃくせん

世界大百科事典(旧版)内の丁若銓の言及

【丁若鏞】より

…文章,経史に卓越したばかりでなく西学(洋学)の造詣も深く,正祖に城制改革案を上疏,スイス人テレンツP.J.Terrenzの《奇器図説》を参照して作成した《起重架図説》を国王に献呈し,水原城の築造工事には,これによって製作した滑車や鼓輪を利用した。彼は西洋の科学技術面だけでなく,思想的にも天主教(カトリック)に傾倒し,1801年の天主教弾圧事件(辛酉教獄)では長兄丁若鍾は杖殺され,次兄の丁若銓は黒山島,彼は全羅道康津に流配された。500余巻にのぼる彼の著作は,康津での18年間の流配期と,その後の晩年に完成したものである。…

※「丁若銓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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