世界大百科事典(旧版)内の万物一体の仁の言及
【公私】より
…仏教もこの立場から,自分だけの救済を求めるとして批判される。ただ,朱子学における公・私は,〈万物一体の仁〉(万物に対するへだてなき愛と連帯感)という語が示すように,社会対自己の枠を超えており,むしろ全的生命対自己というべきであって,私とはおのが一身のうちに閉じこもり,宇宙的生命への参与の拒否,ないしは無自覚とすべきであろう。しかし,朱子学が体制化・権威化するにつれ,その天理人欲(公私)論は人間性の抑圧だとする動きがあらわれる。…
【中国】より
…それは仁説である。仁はもともと〈人を愛する〉ことであったが,やがて宋学では〈天地の生生〉の徳の人間における発現とされ,〈万物一体の仁〉が唱えられるにいたった。王守仁(陽明)はいう,井戸に落ちようとする赤ん坊に対する惻隠の情,哀鳴する鳥獣に対する忍びざるの心,草木の枯折に対する憐憫,瓦石の破壊に対する愛惜の情,すべて人間生れつきの〈一体の仁〉の発現である,瓦石ともともと一体なるものでなくて,どうしてあのような愛惜の情がおこりえようか。…
【程顥】より
…この評語は人格と学風の双方にかかわるが,程頤が事物の分析と論理化に鋭いさえをみせたのに対し,程顥は融合的,直覚的であった。その〈万物一体の仁〉の思想は,まさしくこの〈春風和気〉の具現にほかならない。そこでいう〈仁〉とは,天地万物を一体とみなし,すべての存在をわが身の一部と考えることであり,その意味で,手足のしびれを〈不仁〉と医学書が表現するのは,みごとな仁の定義だと程顥は言う。…
※「万物一体の仁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」