万関瀬戸(読み)まんぜきのせと

世界大百科事典(旧版)内の万関瀬戸の言及

【浅茅湾】より

…東側の対馬海峡を隔てる大船越地峡は,1672年(寛文12)に宗氏が開削し,また久須保(くすぼ)(万関)地峡は日本海軍が艦船の通航のため,1900年に運河を掘った。後者の万関瀬戸は日露戦争で,竹敷要港部の水雷艇隊が対馬海峡に出撃する際に利用された。湾内にはブリ,タイなどのはえなわ漁業を主とする水崎漁港やイカの一本釣漁業の盛んな尾崎および西海の両漁港,そして地方港湾の竹敷港と仁位港が長い入江を利用して立地する。…

【対馬】より

…長崎県の対馬支庁が厳原町にあるが,日常生活の面ではむしろ福岡県との関係が強い。 主島の対馬(面積698km2)は中央部に西から浅茅(あそう)湾が深く湾入し,湾奥は万関(まんぜき)瀬戸により分断され2島からなるようにみえるが,瀬戸は人工的に開削されたもので,もとは一つの島である。地質は,大部分が対州層群とよばれる第三紀層で,おもに黒灰色のケツ岩からなり,これに砂岩が挟まる場合が多い。…

【美津島[町]】より

…地形はほとんどが標高200m以下の丘陵性山地であるが,西部は白嶽(しらだけ)(515m)を最高峰とする山地が急傾斜をなして海に迫る。浅茅湾と対馬海峡(東水道)を結ぶ大船越瀬戸は1672年(寛文12)に,万関(まんぜき)瀬戸は1900年に開削されたもので,東西海域を結ぶ航路となっている。町域を国道382号線が縦貫し,大船越西部には対馬空港(1975完成)がある。…

※「万関瀬戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」