世界大百科事典(旧版)内の《三つの海の小品》の言及
【カステルヌオーボ・テデスコ】より
…少年時代から才能が注目され,フィレンツェ音楽院でピッツェッティに学んだ後カセラに認められ,若くして名声を得る。1920年代までの作風は,ラベルらの影響を受けた印象主義的なものであったが,《三つの海の小品》(1916‐19)のような小品に鋭い感覚が示されている。30年代にアメリカに亡命,46年市民権を得る。…
※「《三つの海の小品》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」