世界大百科事典(旧版)内の三井本社の言及
【三井家】より
…維新後は東京へ移り(各家住居も移転)一時機能弱化の時期を経たのち,1893年三井家同族会と改め,さらに1909年三井合名会社(持株会社)の設立と三井家同族会の改組によって,事業統轄と家政統轄とが組織として分離された。事業統轄は40年に三井合名から三井物産(株),44年株式会社三井本社へと引き継がれ,第2次大戦後の財閥解体で46年三井本社と三井家同族会の解散に至る。 三井家の事業は,江戸期には京都仕入れ,江戸・大坂販売の形態をとる呉服業と,上方~関東間の幕府公金為替を含む為替取扱いを契機とする金融業とが主であった。…
【三井財閥】より
…この段階で財閥家族による資本の閉鎖的独占は破綻し,財閥本社自体の株式公開による社会的資金の動員が不可避になった。40年8月いったん三井合名は三井物産(株)に合併され,さらに44年3月株式会社三井本社が設立された。また,43年3月には三井銀行,第一銀行の大合同で帝国銀行が発足し,三井傘下事業の系列融資体制が強化された。…
※「三井本社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」