三圃農法(読み)さんぽのうほう

世界大百科事典(旧版)内の三圃農法の言及

【休閑】より

…西南アジア,インド北西部,地中海北部などのうち,灌漑水の得られない乾燥地帯では,わずかな降雨による水分を保持するための休閑保水によってはじめて作物栽培が可能となり,灌漑農法とともに,休閑農法はそれらの地域における古代文明を築き上げる支えとなった。 雑草防除のための休閑の典型は,封建時代ヨーロッパの開放耕地制度の下での三圃農法(三圃制)における休閑である。村の共同耕地は利用上3分割されて,冬穀―夏穀―休閑が順次繰り返された。…

【三圃制】より

…ヨーロッパ中世で典型的に発達した農法で,穀物畑における3年単位の輪作を根幹とする。三圃農法ともよばれる。開放耕地制度と結びついて,農村社会の基礎を構成する制度となった。…

【ヨーロッパ】より

…一方,市場への窓口をふさがれた封鎖的な農村地域には,いわば村抱えの多様な手工業者が存在したものの,そこから市場目当ての工業生産の場,つまり手工業都市が成立する余地はほとんどなかったのである。 これに反し西ヨーロッパでは,すでに8世紀以降,まずライン,セーヌ両河に挟まれた地域の群小集落で,先駆的に三圃農法(三圃制)をとる集村化の現象が現れ,やがてここを基地として,ほぼ12世紀までの間に,南はシュワーベンおよびロアール川以北の一帯,北はドーバー海峡を越えてイングランド南東部平地地帯,東は遠くエルベ川の西岸に至るまでの広範な地域に,三圃農法による農地経営が最も典型的な中世ヨーロッパの生産様式とみなされるほどに,あまねく普及したのである。大体平均30戸程度の農民家宅数を単位とするこの有核密集村落の普及,ならびに三圃農法の採用は,その地域の地質・地形によるところ大であり,その意味で地中海周辺には不適合であるため,そこでは昔ながらの散村や小村形態が存続して,生産性の向上は望みえなかった。…

【輪栽式農法】より

…近世ヨーロッパで完成された農法で,穀物を中心とする輪作体系のなかに飼料作物の栽培を組み込み,地力の維持増進と耕地の高度利用をはかる方式をいう。古来ヨーロッパの畑作農業では,作物栽培に伴う地力の減退を防止する目的で,各種の農法が考案されてきた。古く南ヨーロッパの農村共同体では,耕地を2分し,一方に穀物栽培を行い,他方は休閑地として地力の回復と土壌水の確保をはかり,年次を追って両者を交代させていく二圃(にほ)式農法が一般であった。…

※「三圃農法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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