世界大百科事典(旧版)内の上宮王院の言及
【広隆寺】より
…また,太子を神格化する聖徳太子信仰は,とくに鎌倉時代から高まり,当寺はその中心寺院の一つとなって寺運を一時もりかえした。太子像を安置した上宮王院(しようくうおういん)(太子堂)や桂宮院(けいくういん)の八角円堂が太子信仰の中心となり,当寺にちなむ種々の太子の伝承が生まれ,また足利将軍家歴代の保護も続いた。なお,有名な〈太秦の牛祭〉は,当寺の伽藍神である大酒(おおさけ)神社の祭礼で,毎年10月12日の夜に境内で行われる。…
【法隆寺】より
…鎌倉時代には後白河院・源頼朝の帰依もあったが,中期以降に顕真得業による太子信仰の高揚や慶政による修理が行われ,慶長年間(1596‐1615)と元禄年間(1688‐1704)の修理を経て,昭和大修理に至った。 西院伽藍の東方に隣接する東院伽藍は上宮王院といい,八角円堂の夢殿と伝法堂・絵殿・舎利殿よりなる。夢殿は,643年(皇極2)蘇我入鹿の手により焼亡した太子の斑鳩宮(いかるがのみや)跡に,739年(天平11)僧行信により造営され,北魏様式の救世観音像を安置してあることにより著名である。…
※「上宮王院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」