上杉遺民一揆(読み)うえすぎいみんいっき

世界大百科事典(旧版)内の上杉遺民一揆の言及

【越後国】より

…秀治は与力大名として村上頼勝(村上藩),溝口秀勝(新発田藩)を従えたが,いずれも豊臣取立て大名であった。秀治は同年1反360歩の中世的田制ながら太閤方式で領内総検地を行い,1600年には会津から侵入した上杉軍およびこれに呼応した越後一揆(上杉遺民一揆ともいう)を平定して,関ヶ原戦の前哨戦に徳川氏に忠勤を尽くした。一揆平定はまた残存する地侍層を掃討したことで兵農分離の完成を意味する。…

※「上杉遺民一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む