上杉遺民一揆(読み)うえすぎいみんいっき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上杉遺民一揆」の意味・わかりやすい解説

上杉遺民一揆
うえすぎいみんいっき

越後一揆

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の上杉遺民一揆の言及

【越後国】より

…秀治は与力大名として村上頼勝(村上藩),溝口秀勝(新発田藩)を従えたが,いずれも豊臣取立て大名であった。秀治は同年1反360歩の中世的田制ながら太閤方式で領内総検地を行い,1600年には会津から侵入した上杉軍およびこれに呼応した越後一揆(上杉遺民一揆ともいう)を平定して,関ヶ原戦の前哨戦に徳川氏に忠勤を尽くした。一揆平定はまた残存する地侍層を掃討したことで兵農分離の完成を意味する。…

※「上杉遺民一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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