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上田自由大学

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

上田自由大学

市誌によると、神川村(現上田市)青年会長だった山越脩蔵(しゅうぞう)=蚕種製造業=が、哲学者で文明批評家の土田杏村(きょうそん)に講演依頼の手紙を出したのが始まり。その返事の中で杏村は地域問題に触れ、「しみじみと人生問題を語る機会を得たい」としるした。杏村は京都から出向いて農閑期の数日間、村の青年らに哲学を講義したという。杏村と青年らは意気投合し、「継続させたい」と1921(大正10)年11月1日、「信濃自由大学」が誕生した。市民の手によって自主的につくられた自己教育機関で、日本で初めてだった。のちに「上田自由大学」に改称された趣意書には(1)一般民衆が働きながら自由に大学レベルの教育が受けられ(2)一講座が3、4年の長期的なものとする(3)男女共学であり(4)統一的に法文系の学習を行う、とあった。自由大学市役所の一室などを借り、哲学や経済学、文学論などを集中講義した。受講者の職業は農業をはじめ、教員、会社員、芸妓(げいぎ)、医師などさまざまで、毎回数十人の青年らが受講した。上田から始まった自由大学は飯田や松本でも創設、新潟県や群馬県など県外にも広まった。全国的な波及を目指した自由大学協会が設立され、機関誌「自由大学雑誌」も創刊された。巻頭で、杏村は「自由大学はどの国にも見られない独創的な学習機関」と論説している。自由大学は大正デモクラシーの終わりとともに閉校し、いずれの自由大学も1930年にはすべて消滅した。

(2006-05-25 朝日新聞 朝刊 長野全県 2地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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世界大百科事典内の上田自由大学の言及

【私塾】より

…しかし,その後も各地で多くの私塾や夜学会が開かれた。大正デモクラシーのもとでつくられた,民衆の自己教育と地域改革をめざす上田自由大学(自由大学),また第2次大戦直後の青年学級やサークル運動なども,私塾の伝統を継承するものとみることができる。また昭和前期には橘孝三郎の愛郷塾など,国粋主義的運動による私塾もあった。…

【自由大学】より

…1920年代はじめから30年代はじめにかけて,長野県を中心として民衆の手によりつくられた自主的な教育機関。1921年長野県上田市で発足した信濃自由大学(のち上田自由大学)が最初である。信濃自由大学は,官製の青年団にあきたらず,普選運動や自由画運動にかかわり学習要求に燃えていた青年たちが,哲学者土田杏村の協力を得て設立したものである。…

※「上田自由大学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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