上賀茂民芸協団(読み)かみがもみんげいきょうだん

世界大百科事典(旧版)内の上賀茂民芸協団の言及

【明治・大正時代美術】より

…帝展系工芸と民芸とは無縁だと思われがちだが,もともと両者は,明治の功利主義的精神が築いてきた近代日本文化に対する対蹠的反応だったといえる。 運動の指導者だった柳宗悦は,1926年に富本憲吉,河井寛次郎,浜田庄司らの陶芸家と連名で,〈日本民芸美術館設立趣意書〉を発表して運動を思想的に方向づけ,27年に染織の青田五良(1898‐1935),木工の黒田辰秋(たつあき)(1904‐82)らと上賀茂民芸協団を結成して,その思想を実践に移した。イギリスの工芸家W.モリスの影響を受けていた柳の思想においては,かつての日常雑器に見られた美を基準にして,今日の生活用品を生産することが本来の目的だったからである。…

※「上賀茂民芸協団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む