上野国一宮(読み)こうずけのくにいちのみや

世界大百科事典(旧版)内の上野国一宮の言及

【貫前神社】より

…古名抜鋒(ぬきさき)また抜鉾(ぬきさき)と記すのも武神を示すものであろう。839年(承和6)従五位下,以後しだいに昇進し,880年(元慶4)従三位勲七等となり,延喜の制で名神大社,のち上野国一宮とされ,《上野国神名帳》に〈正一位抜鉾太神〉と記されている。上野国は武将の出入りがはげしかったが,藤原秀郷(ひでさと)が当社に治乱を祈願以降,源頼義・義家,新田義貞,脇屋義助,足利尊氏らが崇敬して種々の寄進をし,さらに北条,上杉,武田,織田,前田氏らも崇敬,社殿造営,神領寄進のことをし,戦乱の世にも古制による式年遷宮を行った。…

※「上野国一宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む