下シュレジエン(読み)しもしゅれじえん

世界大百科事典(旧版)内の下シュレジエンの言及

【シロンスク】より

…そして14世紀にはポーランド王の支配から脱して,ボヘミア王ついで1526年以降はハプスブルク家の宗主権に服することになった。18世紀に入るとプロイセンのフリードリヒ大王が資源に富むこの地域の領有をめざしてオーストリアとの間に3次にわたるシュレジエン戦争(1740‐42年,44‐45年,56‐63年)を敢行し,その結果,下シュレジエン,上シュレジエンの大部分およびグラーツ伯領がプロイセン領となった。大王の統治下で内地植民や鉱工業振興政策により,経済的に躍進をとげるが,反面フランス革命とナポレオンの大陸征覇の時期には,亜麻織物の輸出不振に悩む織布工や不徹底な農業改革に不満をもつ農民たちの大規模な蜂起が起こった。…

※「下シュレジエン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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