世界大百科事典(旧版)内の下山明神の言及
【大山】より
…平安時代には南光院,西明院,中門院の3集団からなる大山寺が成立し,以降大山信仰の中核に位置してきた。大山信仰史のなかでは農耕の守護神としての信仰と地蔵信仰が卓越していること,中世以降,地蔵菩薩およびその垂迹(すいじやく)である智明菩薩(大智明神,大智明権現,地蔵智明権現ともいう)のミサキ神・眷属(けんぞく)神としての下山明神が,狐神信仰・御霊(ごりよう)信仰と習合しながら,大山信仰の普及に大きな役割を果たしてきた点が特筆される。農耕神とする信仰では,とりわけ牛馬の守護神としての信仰があつく,元禄~享保(1688‐1736)ころに〈大山博労(ばくろう)座〉と称される牛馬市が成立するのも,この信仰を背景にしている。…
※「下山明神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」