朝日日本歴史人物事典 「下斗米秀之進」の解説
下斗米秀之進
生年:寛政1(1789)
江戸後期の武士。名は将真。総兵衛の子。南部(盛岡)藩士で,幼少より南部家の家来筋たる津軽(弘前)藩祖津軽為信の奸悪を憎み,200年前に南部藩主の受けた恨みと軋轢を晴らそうと決意し,文化年間(1804~18)江戸に出て相馬大作を名乗り,刻苦精励して武術を修めた。文政4(1821)年同志関良助らと謀って津軽藩主津軽寧親のお国入りを襲撃したが,内通者も出て果たさず,家族ともども江戸に逃れて隠れ住んだ。これがいわゆる檜山騒動で,津軽藩の訴えで幕府に捕らえられ,良助と共に小塚原で刑死,獄門となった。
(宇田敏彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報