南部(盛岡)藩の浪人。檜山(ひやま)騒動(南部騒動)の首謀者。本名は下斗米秀之進(しもとまいひでのしん)。父は南部藩士。1803年(享和3)15歳で江戸に出、平山行蔵(ひらやまぎょうぞう)(子龍(しりょう))の門に入り修業。帰郷して福岡(岩手県二戸(にのへ)市)に道場兵聖閣(へいせいかく)を開き、兵法と砲術を指南する。津軽(弘前(ひろさき))・南部両藩の対立は立藩以来のものだが、江戸中期には家格競争となって表れた。08年(文化5)津軽藩は10万石に高直りし、20年(文政3)藩主津軽寧親(やすちか)はついに侍従に昇進した。これを不正によるものと憤激した大作は、関良助らと謀り21年4月4日、白沢村(秋田県大館(おおだて)市)岩抜山(いわぬきやま)(一説に矢立(やたて)峠とも)で寧親襲撃を企てたが、事が露見し暗殺計画は失敗した(檜山騒動)。江戸へ逃れ相馬大作と変名し道場を開いたが、翌年正月捕らえられ、8月小塚原(こづかっぱら)で獄門に処せられた。大作は北方警備にも強い関心を抱いていた人物という。
[工藤睦男]
江戸後期,盛岡藩の地方給人。本名は下斗米(しもどまい)秀之進。盛岡藩領福岡の下斗米惣兵衛の子。家は代々平野屋の屋号を持つ商人でもあり,紙・蠟・油・漆などの販売を行っていた。1802年(享和2)江戸に出て,幕臣夏目長右衛門および紀州藩士平山行蔵に兵法武術を学んだ。15年(文化12)郷里福岡に帰り,講武場を設け,子弟の教育にあたった。師である平山の影響をうけ北方警備に関心を持ち,18年(文政1)松前に渡り地理風俗を視察した。彼は藩主南部利用に位なく,津軽藩に比して家格が低いことを憂憤し,21年に羽州秋田領白沢宿の岩抜山で,帰国途中の津軽寧親を暗殺しようとし,道筋に地雷を埋め,大筒を備えて待ちうけたが,計画が露見して失敗した。妻子および門人の関良助と江戸にのがれ,相馬大作と姓名を変えたが,津軽藩の要請を受けた幕吏に捕らえられ,良助とともに獄門に処せられた。
執筆者:守屋 嘉美
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…峠は羽州街道の難所で,吉田松陰はそのようすを《東北遊日記》に記している。1821年(文政4)南部藩士相馬大作らが参勤の津軽藩主を襲おうとした事件の舞台ともなった。現在は峠の西を奥羽本線矢立トンネルが通る。…
※「相馬大作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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