世界大百科事典(旧版)内の《与露国社会党書》の言及
【幸徳秋水】より
…10月日露開戦論に転じた《万朝報》を堺利彦とともに退社,11月平民社を興して週刊《平民新聞》を創刊し,戦争反対の立場を鮮明にして帝国主義戦争の本質をついた。04年3月の社説〈与露国社会党書〉では労働者階級の国際的連帯を訴え,11月には堺と共訳の《共産党宣言》を掲載する。05年2月筆禍事件のため巣鴨監獄に入獄,獄中でクロポトキンの無政府主義思想に関心を抱く。…
【非戦論】より
…また,安部磯雄らの社会主義協会も,03年10月に〈社会主義非戦論大演説会〉を行うなどの活動を展開していった。とくに幸徳が《平民新聞》(1904年3月13日)に書いた《与露国社会党書》は欧米各国の社会党に大きな反響を呼び,各国社会党の機関紙は競ってこれを転載した。また,ロシア社会民主党もその機関紙《イスクラ》に回答文を載せ,〈今我等の最も重大に感ずるは,日本の同志が我等に送りたる書中に於て現したる一致聯合の精神に在り,我等は満腹の同情を彼等に呈す〉と賛意を示した。…
【平民社】より
…平民社の非戦論は〈真理・正義・人類博愛〉のため〈飽くまで戦争を非認す〉(第10号)と述べるにとどまり,戦争廃止の手段は不明瞭であった。この弱点は幸徳の執筆で有名な〈与露国社会党書〉(第18号)の〈断じて闘ふべきの理有るなし〉という非戦論にも表れている。また〈嗚呼(ああ)増税〉(第20号)で堺が筆禍事件を起こし,創刊1周年に《共産党宣言》の訳出で発禁処分を受け,幸徳,堺,西川らが起訴された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」