世界大百科事典(旧版)内の《中外評論》の言及
【海老原穆】より
…75年3月集思社を設立して《評論新聞》を創刊,小松原英太郎,末広鉄腸,宮崎八郎らを客員として征韓論と民権論を激越に唱えた。76年7月発禁処分にあうと《中外評論》と改題して発行,それがまた10月発禁処分にあうと《文明新誌》を発行し,政府の弾圧に抗した。しかし77年5月西南戦争に関し各地の暴動を教唆したとして拘引され,12月懲役1年に処せられた。…
【評論新聞】より
…終始,政府当局の内政外交の批判や自由民権運動の正当性を主張する立場を貫いたが,76年7月同じく政府攻撃の急進派雑誌《湖海新報》《草莽(そうもう)雑誌》とともに発禁処分を受ける。同年8月《中外評論》と改題して発行,これも同10月第28号で禁止されると,さらに同11月《文明新誌》と改題して果敢な言論闘争を続けたが,やはり翌77年6月弾圧を受け,第41号で発禁となる。【山口 順子】。…
※「《中外評論》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」