世界大百科事典(旧版)内の中学校教授要目の言及
【歴史教育】より
…以後,教科書改訂のたびに皇国史観の色彩が強められ,日本は神国であるとの記述が増え,たとえば元寇のさいに吹いた大風は34年改訂以降,〈神風〉と記されるようになった。 一方,中等学校では日本史のほか,外国史も教授されたが,これについて1894年,那珂通世が東洋史と西洋史に二分することを提案,99年の中学校令にもとづく1902年制定の中学校教授要目により,第3学年で東洋史,第4,5学年で西洋史を扱うこととされ,とくに日本と関係する事項に留意して教授するよう指示された。ついで小学校教科書で南北朝問題の起こった11年に出された文部省訓令で,日本の国体や大義名分を明らかにすることを主とすべしとされ,〈我国体ト背馳スルガ如キ事歴ニ就キテハ彼我国情ノ異ナル所以ヲ明ニシ生徒ヲシテ誤解セザラシメンコトヲ期スベシ〉とされた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」