中川蘭窓(読み)なかがわらんそう

世界大百科事典(旧版)内の中川蘭窓の言及

【一弦琴】より

…1839‐1913)の説によると,寛文(1661‐73)の初めごろ中国から伝えられ,宝暦・明和(1751‐72)のころに河内国金剛輪寺の僧覚峯律師(号は麦飯真人。1729‐1815)が世に広め,その門人に水戸の家老中山備前守信敬,奈良の久保但馬,大坂の中川蘭窓などがあり,幕末には大坂の真鍋豊平(1809‐99)が新作によって隆盛に導いた。明治になって真鍋の高弟である土佐の徳弘太橆(たいむ)や,東京の富田豊春がその普及に努めたが,明治末から衰微し,現在ではわずかに行われるのみである。…

※「中川蘭窓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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