世界大百科事典(旧版)内の中忠別の言及
【東川[町]】より
…町域西部は上川盆地南東部の水田地帯,東部は大雪山の西斜面を占め,南境を石狩川支流の忠別川が流れる。忠別川沿いの中忠別に市街地が発達し,北西に接する旭川市からバスが通じる。1895年から忠別原野への入植が始まり,1903年には土功組合が設立され,以後原野の水田化がすすんだ。…
※「中忠別」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…町域西部は上川盆地南東部の水田地帯,東部は大雪山の西斜面を占め,南境を石狩川支流の忠別川が流れる。忠別川沿いの中忠別に市街地が発達し,北西に接する旭川市からバスが通じる。1895年から忠別原野への入植が始まり,1903年には土功組合が設立され,以後原野の水田化がすすんだ。…
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