中正会(読み)ちゅうせいかい

世界大百科事典(旧版)内の中正会の言及

【同志会】より

…結局内閣改造におわり,同志会は大浦・加藤・若槻に代えて箕浦勝人と準党員高田早苗を送り,与党関係を維持した。翌年大隈が辞意を示し加藤を後継首相に想定するとともに,8月より高田を提唱者として,同じ与党たる中正会,公友俱楽部,同志会3派の合同運動が起こり,次期寺内正毅内閣成立の翌日たる10月10日,憲政会の結成をみた。 なお,1897年進歩党を退いた田口卯吉ら8人の代議士により,ついで1912年旧又新(ゆうしん)会員11人により〈同志会〉の名称の結社がつくられたことがあるが,いずれもその翌年消滅した。…

※「中正会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」