中臣鎌足(読み)ナカトミノカマタリ

百科事典マイペディア 「中臣鎌足」の意味・わかりやすい解説

中臣鎌足【なかとみのかまたり】

藤原鎌足

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世界大百科事典(旧版)内の中臣鎌足の言及

【藤原氏】より

…鎌倉時代からはそれが近衛(このえ)家二条家一条家九条家鷹司(たかつかさ)家の五摂家に分かれたが,以後も近代初頭に至るまで,数多くの支流を含む一族全体が朝廷では圧倒的な地位を維持し続けた。
[初期]
 藤原とは今日の奈良県橿原市高殿町あたりの地名であるが,中臣氏の遠祖烏賊津(いかつ)が仕えた允恭天皇妃の宮があったとの伝承があり,大化改新の功臣中臣鎌足(かまたり)が生まれたのもこの地であった関係で,鎌足は669年(天智8)病死する前日に,藤原という氏を賜った。しかし当時の藤原氏はまだ中臣氏の一部で,正式には中臣藤原連(なかとみのふじわらのむらじ)と称したと思われ,684年(天武13)の八色の姓(やくさのかばね)で,その姓が連から朝臣に上ると,鎌足の従兄弟の子たちまで藤原朝臣と称した。…

※「中臣鎌足」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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