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中臣鎌足 ナカトミノカマタリ

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デジタル大辞泉の解説

なかとみ‐の‐かまたり【中臣鎌足】

藤原鎌足(ふじわらのかまたり)

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百科事典マイペディアの解説

中臣鎌足【なかとみのかまたり】

藤原鎌足

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中臣鎌足 なかとみの-かまたり

藤原鎌足(ふじわらの-かまたり)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
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朝日日本歴史人物事典の解説

中臣鎌足

没年:天智8.10.16(669.11.14)
生年:推古22(614)
いわゆる大化改新に功績があり,藤原氏の祖となった人物。父御食子,母大伴夫人(智仙娘)の間に大和国高市郡藤原(橿原市)あるいは大原(明日香村)で生まれたという。名は鎌子とも記される。『万葉集』に鏡王女に求婚する歌があり,正妻は鏡王女だが,鎌足の子を儲けたかどうか不明。長男は貞慧(僧定恵。11歳で唐に留学),次男は不比等(右大臣,没後太政大臣)。ふたりの娘(氷上娘,五百重娘)は天武天皇夫人。伝記『大織冠伝』によると,若年から学問に励み,兵法書『六韜』などを学んだ。僧旻の下に豪族の子弟が集まり,『周易』を学習した際,旻は自分の生徒のうちで蘇我入鹿に匹敵する者はいないが,鎌足だけは彼に勝るといったという。舒明天皇の初年,あるいは『日本書紀』では皇極3(644)年に宗業=神祇伯を継がされようとしたが,固辞して三島(高槻市)に退居した。これには,神祇面のみに縛られ,政治的活動の道を封じられるのを避けたとする説もある。 この間,蘇我氏の専横をにくみ,その打倒の柱となる皇子を求め,軽皇子(のちの孝徳天皇)に接触したが,器量不足を知り,飛鳥寺での蹴鞠の場をとらえて,中大兄皇子(のちの天智天皇)に接近した。まず蘇我倉山田石川麻呂の娘と中大兄皇子を結婚させ,蘇我氏の勢力分断をはかった。皇極4年6月12日,三韓の上表文奉呈の儀と称して入鹿を飛鳥板蓋宮(明日香村)の宮中に呼び斬殺し,その父蝦夷も自害して蘇我本宗家は滅びた。この乙巳の変(大化の改新)後,軽皇子を孝徳天皇として即位させ,中大兄皇子が皇太子,鎌足は内臣(最高顧問)になった。ただし,内臣としての事績はほとんど不明で,正倉院に伝存する赤漆槻木厨子は百済の義慈王が鎌足に贈ったものであるという記述などから,外交面での交流が推定される程度である。長男を唐に留学させるなど国際的視野の持ち主であったか。近江大津宮への遷都(667)の翌年,天智は,鎌足に「礼儀を撰述し,律令を刊定」させたと『大織冠伝』は記しているが,この近江令の存在には疑問が多い。また天智天皇と皇太弟大海人皇子(のちの天武天皇)の間が険悪になると,これを調停したという。天智8(669)年死に臨んで大織冠を授けられ,内大臣に任じ,藤原朝臣の姓を賜った。多武峰(桜井市)に葬られたといわれてきたが,三島の阿威山に葬られたとする説もあり,近年高槻市・茨木市境の阿武山古墳から人骨と冠が出土し,年齢の点,冠が大織冠ではないかと考えられる点などから,阿威山説が有力になっている。<参考文献>田村円澄『藤原鎌足』,青木和夫『日本古代の政治と人間』

(森公章)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

なかとみのかまたり【中臣鎌足】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中臣鎌足
なかとみのかまたり

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世界大百科事典内の中臣鎌足の言及

【藤原氏】より

…鎌倉時代からはそれが近衛(このえ)家二条家一条家九条家鷹司(たかつかさ)家の五摂家に分かれたが,以後も近代初頭に至るまで,数多くの支流を含む一族全体が朝廷では圧倒的な地位を維持し続けた。
[初期]
 藤原とは今日の奈良県橿原市高殿町あたりの地名であるが,中臣氏の遠祖烏賊津(いかつ)が仕えた允恭天皇妃の宮があったとの伝承があり,大化改新の功臣中臣鎌足(かまたり)が生まれたのもこの地であった関係で,鎌足は669年(天智8)病死する前日に,藤原という氏を賜った。しかし当時の藤原氏はまだ中臣氏の一部で,正式には中臣藤原連(なかとみのふじわらのむらじ)と称したと思われ,684年(天武13)の八色の姓(やくさのかばね)で,その姓が連から朝臣に上ると,鎌足の従兄弟の子たちまで藤原朝臣と称した。…

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