世界大百科事典(旧版)内の中華ソビエト共和国土地法の言及
【土地革命戦争】より
… これに対して党中央の李立三,陳紹禹(王明),秦邦憲(博古)らはコミンテルンの指導とソ連の経験を教条的に受け入れ,現実から離れた極左路線を採った。例えば〈土地暫行法〉(1930年6月)では集団農場や集団生産の実施をうたい,〈中華ソビエト共和国土地法〉(1931年11月)では〈地主不分田,富農分壊田〉(地主に土地を分配せず,富農に悪い土地を分配する)を主張している。このためしばしば中農の利益が侵害され,富農は過度に打撃を受け,地主は肉体的に消滅されることになった。…
※「中華ソビエト共和国土地法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」