世界大百科事典(旧版)内の中華民国臨時政府の言及
【辛亥革命】より
…また,革命軍のほうも全国的な優勢を首都攻略に向け直すだけの軍事力,財力を欠いていた。 南方の革命側は孫文の帰国をまって12年1月1日,孫文を初代臨時大総統とする中華民国臨時政府(南京臨時政府)を組織した。副大総統には〈首義〉の区,湖北の都督黎元洪(れいげんこう)が選ばれた。…
【中華民国】より
…その困難をのりこえて,中国共産党にみちびかれた新民主主義革命が勝利し解放にいたるのである。
【政治,軍事】
[軍閥の抗争]
1911年10月,武昌の新軍蜂起に始まった辛亥革命により満州族王朝としての清朝は打倒され,12年元旦,アジア最初の共和国である中華民国臨時政府の誕生をみた。首都は南京。…
【日中戦争】より
…中国の回答が遅れると近衛内閣は交渉を打ち切り,〈爾後国民政府を対手とせず〉と声明した。占領地には日本軍の指導で蒙疆連合委員会(1937年11月22日蒙古連盟,察南,晋北の自治政府が連合して成立),華北の中華民国臨時政府(1937年12月14日王克敏を行政委員長として成立),華中に中華民国維新政府(1938年3月28日梁鴻志(りようこうし)を行政院長として南京に成立)がつくられたが,旧軍閥時代の政治家を中心とする傀儡政権にすぎなかった。中国はまもなく活発な抗戦に出て,1938年4月には山東省南部の台児荘で日本軍を後退させて大勝利を宣伝した。…
※「中華民国臨時政府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」