世界大百科事典(旧版)内の丸アーチ様式の言及
【クレンツェ】より
…ドイツの新古典主義の建築家。パリでP.F.L.フォンテーヌとC.ペルシエに建築を学び,バイエルン国王ルートウィヒ1世の下,宮廷建築家としてミュンヘンで活躍。ルートウィヒ通りの街路計画のほか,彫刻館グリュプトテーク(1828),絵画館ピナコテーク(1836),都市門プロピュレーン(1860)などを設計し,古代の都市イメージを復活させた。またギリシアでの考古学調査を通して正確なギリシア様式復興を推進,ギリシア神殿を模したワルラハ(1860)を設計。…
※「丸アーチ様式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」