朝日日本歴史人物事典 「主水正正清」の解説
主水正正清
生年:生年不詳
江戸中期の薩摩(鹿児島)の刀工。通称を宮原清右衛門といい,丸田惣左衛門正房に鍛刀を学んだ。はじめ清盈と名乗り,次いで正清に改名している。享保6(1721)年,8代将軍徳川吉宗に江戸に召し出され,筑前(福岡県)の信国重包,同国の主馬首一平安代と共に浜離宮で,将軍御前で作刀した。その功により,銘に一葉葵紋を切ることを許され,また帰国の途,京都での主水正の官名を賜った。作品は刀,脇指が多く,いずれも身幅の広い豪壮な造込で,美濃の志津を倣った湾れに互の目を交え,沸の強くついた刃文を得意としている。<参考文献>『薩摩刀名作集』
(原田一敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報