久松定昭(読み)ひさまつ・さだあき

朝日日本歴史人物事典 「久松定昭」の解説

久松定昭

没年:明治5.7.19(1872.8.22)
生年:弘化2.11.9(1845.12.7)
幕末の伊予松山藩(愛媛県)藩主。慶応3(1867)年9月藩主の座に就き,直ちに老中に就任するが10月に辞職。翌年1月,鳥羽伏見の戦に藩兵を率いて旧幕府側に参軍。同10日,朝敵とされ官位を剥奪されたが,のち許されて松山藩知事を勤めた。28歳で没。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

関連語 松平定昭

パソコンやサーバーに侵入して機密文書や顧客情報のデータを暗号化して使えない状態にし、復元と引き換えに金銭を要求するコンピューターウイルス。英語で身代金を意味する「ランサム」と「ソフトウエア」から名付...

ランサムウエアの用語解説を読む