世界大百科事典(旧版)内の九体阿弥陀堂の言及
【阿弥陀堂】より
…しかし,阿弥陀堂という形式が成立し隆盛となるのは,末法思想を背景として浄土信仰が高まった平安時代中ごろからで,大小各種の規模の堂が建立された。これには本尊と脇侍を中心に安置し,周囲を行道できる求心堂平面のものと,九品(くほん)阿弥陀になぞらえた9体の仏像を並べる九体阿弥陀堂とがあった。求心堂平面をもつ堂は平安前期に円仁によって建立された比叡山の常行(じようぎよう)三昧堂のように中心に仏壇をおき,周囲1間通りに行道できる庇(ひさし)をめぐらし,さらに孫庇をめぐらした方五間堂の省略形から発展したとも考えられる。…
【寺院建築】より
…このような絢爛(けんらん)多彩な装飾は他寺でも用いられた。九品の阿弥陀如来像を並べる九体阿弥陀堂は,六勝寺などから建立されるようになり,京都府加茂の浄瑠璃寺に実例が残る。他にも長大な堂が要求され,京都三十三間堂の前身は法住寺殿に建てられた。…
【浄瑠璃寺】より
…内部は9間に2間の内陣に9間通しの仏壇を構え,ここにいわゆる定朝様の9体の木造阿弥陀如来座像(国宝)を一列に安置し,四隅に木造四天王立像(国宝)を配する。藤原時代に多く建立された〈九体阿弥陀堂〉のうち,建物と仏像がともに現存する唯一の遺構。1150年造営の池を挟んで本堂に対峙する三重塔(国宝)は,前述のように78年移建されたものだが,建立年代などの沿革は不明だが,様式上,平安時代後期に属する。…
※「九体阿弥陀堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」