世界大百科事典(旧版)内の九体阿弥陀の言及
【浄土教美術】より
…阿弥陀来迎図は源信の発案になると伝えるが,遺品は高野山の《阿弥陀聖衆来迎図》をはじめ,三千院の来迎阿弥陀三尊像などおおむね12世紀以降に隆盛を迎え,鎌倉時代にも知恩院の《阿弥陀二十五菩薩来迎図》や,禅林寺,金戒光明寺の《山越阿弥陀図》などに引き継がれる。このほか平安後期には観経の九品来迎に対応するものとして〈九体阿弥陀像〉が発案されたが,その遺構は浄瑠璃寺にみられる。他方,《往生要集》所説の現世厭離(おんり)の思想は欣求(ごんぐ)浄土を強調する反面,六道輪廻の苦悩や無常を力説し,その中では仏説による地獄や餓鬼の情景描写が注目され,《地獄変屛風》をはじめとして,鎌倉時代には《地獄草紙》《餓鬼草紙》,聖衆来迎寺の《六道絵》などが現れた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」