九州民憲党(読み)きゅうしゅうみんけんとう

世界大百科事典(旧版)内の九州民憲党の言及

【浅原健三】より

…1919年八幡で製鉄所職工を日本労友会に組織し,翌年〈溶鉱炉の火は消えたり〉で有名な大ストライキを指導,検挙され,出獄後北九州労働運動の有力な指導者となった。25年地方無産政党,九州民憲党を結成,28年第1回普選で代議士に当選,30年にも日本大衆党から出て当選した。しかし,32年には全国労農大衆党から立候補して落選。…

※「九州民憲党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む