亀井六郎重清(読み)かめいろくろうしげきよ

世界大百科事典(旧版)内の亀井六郎重清の言及

【源義経】より

…秀衡のもとに着いた義経一行はその庇護を受けるが,やがて秀衡が死に,頼朝に屈した子の泰衡は衣川の館に義経を攻める。衣川の館にはるばる駆けつけた鈴木三郎重家,その弟の亀井六郎重清,片岡八郎,鷲尾三郎,増尾十郎,伊勢三郎,弁慶らは奮戦するが,弁慶は立往生をとげ,義経も自害する。この合戦の日の朝には常陸坊海尊が逃走する。…

※「亀井六郎重清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む