世界大百科事典(旧版)内の亀山殿の言及
【嵯峨】より
…1268年(文永5)後嵯峨上皇は大覚寺に入り,さらに亀山・後宇多両上皇も譲位後同寺に住むなどして,この地は嵯峨御所とも呼ばれた。これより先1255年(建長7)に後嵯峨上皇が小倉山東南の亀山山麓に亀山殿(嵯峨殿)を造営した。1339年(延元4∥暦応2)足利尊氏,直義が後醍醐天皇の菩提をとむらうため天竜寺を創建,室町時代中期には双ヶ丘(ならびがおか)東麓に花園天皇の離宮が営まれるなど,鎌倉・室町両時代にわたり,嵯峨およびその周辺部は天皇の隠棲地として大きな役割をもっていた。…
【天竜寺】より
…1343年(興国4∥康永2)山門,法堂(はつとう),寮舎が建立され,翌年天皇の霊廟が完成し,45年(興国6∥貞和1)後醍醐天皇七周忌の年に落慶法会が営まれている。創建当初の寺域は,後嵯峨天皇が造営して後醍醐天皇に伝領された離宮亀山殿を中心に,東は釈迦堂大路,西は亀山,南は嵐山,北は法金剛院に及んで,すべて36町余,現寺地の10倍以上の広さであった。夢窓派の拠点として室町前期が全盛期で,1342年五山第2位に列し,その後第1位にも列した。…
※「亀山殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」