世界大百科事典(旧版)内の《二つの文化と科学革命》の言及
【スノー】より
…イギリスの知識人にしばしばみられるように,理科系の専門領域にとどまらず,若くして小説の執筆にも手を染め,推理的手法を使った処女作《航海中の死》(1932)以降,精力的な活動を展開,大河小説《よそ者と仲間と》は1940年に始まって70年に完結する11巻に及ぶ大作となった。1959年の講演《二つの文化と科学革命》は出版後も大きな反響を呼んだが,イギリスが文科系文化と理科系文化に截然と分かれていて,相互に交流が行われない状況を鋭く批判したもので,科学者,行政官,そして小説家としての自身の生涯はその批判の体現であるという意識に裏づけられていた。もっともこの〈二つの文化〉論は,今からみると,官僚組織に理科系の出身者が少ないことを嘆いているなどの点で,むしろ,自然科学研究の社会的制度化が思うように進まないイギリスの状況に対する焦燥感の結果とも受け取られる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」