世界大百科事典(旧版)内の《ふたりの女》の言及
【デ・シーカ】より
…第2次世界大戦後,《靴みがき》(1947),《自転車泥棒》(1948)の2作でロベルト・ロッセリーニと並ぶ〈ネオレアリズモ〉の最大の監督となった。《子供たちは見ている》(1942)から《ミラノの奇蹟》(1950),《ウンベルト・D》(1952),《終着駅》(1953),《ふたりの女》(1960)等々に至る代表作のすべてが脚本家のチェーザレ・サバティーニとコンビを組んだもので,サバティーニの主張した〈日常性のネオレアリズモ〉はむしろデ・シーカとの共同作業によって形成されていったものとみなすことができる。銀行員を父に,ソーラで生まれ,子どものころからの芝居好きが高じて,1922年,タチアーナ・パブロワ劇団に入り,舞台俳優の道を歩んだ。…
【モラビア】より
…1943年6月,政変直後のローマへ帰るが,ドイツ軍による逮捕の危険を逃れ山間の僻地に越冬する。この経験がのちに,長編《二人の女》(1957)を生む。戦後は,中編の傑作《アゴスティーノ》(1945),長編《ローマの女》(1947)の成功以後,《軽蔑》(1954),《倦怠》(1960),《関心》(1965),《内面の生活》(1978)など,一貫して現代の精神的危機を実験的リアリズムによって描く。…
※「《ふたりの女》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」