世界大百科事典(旧版)内の二体石経の言及
【石経】より
…元代にモンゴル軍のため破壊され,今日では拓本の残欠が存するにすぎない。(5)北宋石経 慶暦1年(1041)から嘉祐6年(1061)にかけて刻され,篆書と楷書で書かれたので嘉祐石経または二体石経とも称する。《易》《書》《詩》《周礼》《礼記》《春秋》《孝経》《論語》《孟子》の9経で,国都汴京(べんけい)の太学に立てられたが,今日ではわずかな残石しか存在しない。…
※「二体石経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」