世界大百科事典(旧版)内の《二重らせん》の言及
【ワトソン】より
…シカゴ大学卒業後,インディアナ大学で学位を得た。タンパク質の研究のためコペンハーゲンに留学したが,イギリス,ケンブリッジに移ってF.H.C.クリックとともに核酸の分子構造研究に没頭,1952年暮れに二重らせんモデルを完成,翌年《ネイチャー》誌に発表。刷上がり1ページにまとめられた最初の論文は,その短さにもかかわらず,ダーウィンの《種の起原》とならんで,生物学史上最も影響力の大きい論文と称され,分子生物学発足の里程標となった。…
※「《二重らせん》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」