《五月一日経》(読み)ごがついちにちきょう

世界大百科事典(旧版)内の《五月一日経》の言及

【光明皇后】より

…また仏教を厚く信仰し,興福寺に五重塔,ついで亡母三千代のために西金堂を造営,さらに皇后宮(藤原不比等の邸宅)の東北隅に隅寺(すみでら)(海竜王寺)を創立,両親の菩提を弔うため玄昉が将来した《開元釈教録》による一切経の書写を始めた。これはのち〈五月一日経〉(光明皇后願経)として完成する。738年(天平10)娘の阿倍皇女が皇太子となり,つづいて聖武天皇は国分寺の創建,盧舎那大仏像造顕の詔を発布するが,これらの事業はいずれも皇后の勧めによるといい,皇后宮は国分尼寺(法華寺)とされた。…

【光明皇后願経】より

…光明皇后が発願,写経させた一切経(大蔵経)で,天平12年(740)5月1日経,天平15年(743)5月11日経,天平宝字4年(760)正月11日発願の坤宮官一切経の3種が知られる。特にこのうちの天平12年5月1日の皇后の願文を持つ一切経を《光明皇后願経》と呼ぶことが多く,また《天平十二年経》あるいは《五月一日経》と呼ぶこともある。この一切経は,玄昉(げんぼう)が唐からもたらした経論を底本にして,736年に写経が始められた。…

※「《五月一日経》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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